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 2023.9/28更新

比企点描>

足利基氏の館跡

比企の城館めぐり-6
あしかがもとうじ  
掲載2021.1/8  
 高坂丘陵地区から一番近い「比企の城館」はこども動物自然公園近くの県道に立派な案内板がある。ここでは「館跡」、案内に従ってゴルフ場のフェンス沿いに行くと民家の横に案内柱。ここは「塁跡」と微妙に異なる表現。
 入り口の案内柱を奥に進むと案内板が見えてきた。残念ながら剥離した表示は金属板が光るだけでほとんど読めない。先に進むにも枯れ草や根笹が獣道(史跡へ続くアクセス道)を塞いでいる。ここが館の東端にあたり、右側の細長い田んぼ(窪地)は堀跡とのこと。それにしても東松山市指定の史跡?。荒れた雑木林そのものだ。
 足利基氏はあの足利尊氏の次男。1323年の岩殿山合戦の時に布陣した場所とのこと。約700年前のすごい事があった現場だ。
アメリカセンダングサ種子はひっつき虫、あちこちに目一杯くっついた。  朽ち果てて何やら怪しい注意書き・・・・ゴルフ場?
 東端の物見台北側の窪地。ヒサカキなどの常緑低木で見通せない。
 直線状に伸びる堀。孟宗竹の林の中。
 土塁の上から見たところ。東西に走っているが、踏破はできなかった。
 土塁の下から見たところ。奥は開けていて・・ゴルフ場!
 西端の土塁と堀は道路から見える。
 土塁と手前の堀跡。結構残っているものだ!
   
 市の指定史跡といいながら、一般的な史跡見物先としてはお勧めできません。覚悟して藪漕ぎをすれば木々の間からそれなりのものが見られます。そもそもひっつき虫が身体中に付いてきた事実からするとほとんど訪れる人がいないという所です。
   
【追加調査】「足利基氏の館跡」と「足利基氏の塁跡」について
 道路案内標識の表記と現地案内柱の表記の違いについて調べてみた。現地の案内柱の後ろ側に東松山市教育委員会とも書かれている。
 岩殿山合戦の時、地元豪族の館に足利基氏が「土塁と堀」を築いたとの史実がある。戦に備え元の館の防御を堅固にしたということで足利基氏が関与した史跡は「塁跡」の方に軍配が上がる。そうなると道路案内標識は「塁跡」と改めるべき内容なのだろう。もっとも「土塁跡」が一般的で、「塁跡」はネットで調べると小渕沢町の「笹尾塁跡」くらいしか見つからなかった。
   
  撮影 2021.1/6 (YSK)