航空写真でみる変遷 |
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写真をブラウズすると現在の区画線を加えたものになります。 |
1974年 |
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1974年昭和49年、まだ関越道工事中だった。この翌年川越IC-東松山IC間伸延。高坂丘陵はまだ本当に深い森の中。関越道工事は地区計画ができていたので橋が作られていた。松風公園の谷戸(谷津)は「呉器谷」と呼ばれていた。一部谷津田が見える。呉器谷の最後は灌漑用溜池で直線堰堤の今の名称の地獄坊池があった。今も松風公園内に「呉器沼」がある。当時の名称中丸沼は「中丸谷」の最後の灌漑用溜池。今は中丸「池」。中丸谷筋は千年山(標高80m)から流れる谷戸だったので「千年」谷公園となった。白山台20番台のところは更地になっているが関越道の盛土に使うために切り取られて、高速道切通しの切土と共に坂戸、鶴ヶ島方面で盛り土として有効利用されていた。 |
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1979年 |
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1979年(昭和59年)区画整理事業工事真っ盛り。住宅予定地は一度は整地のため切土・盛土で更地に。地区内道路工事が始まったが、工事用道路が今の区画とは違うところを走っている。機能しているのは関越道と高坂SA。桜山窯跡群(今の「はにわの丘史跡公園」)の発掘調査が行われている。 |
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1984年 |
まちびらきの年 |
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桜山台地区(北、南)白山台地区から街が始まった。舞台遺跡、大塚原遺跡、緑山遺跡、物見山塚群遺跡、根平遺跡などの遺跡発掘が続く。古来よりの遺跡の上に街が作られていく。 |
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1990年 |
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1990年 「高坂パラディ」のヨークマートが唯一の商業施設。丘陵センターや中心部は開発待ち。松風台4番地と旗立台30番地台は開発分譲中。
旧
緑山小学校の建設工事中。関越道は中央分離帯の植栽が大きくまだ2車線。 |
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2006年 |
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2006年 ほぼ現在の姿になる。この写真からは見えないが、高坂パラディは無くなりその看板は地区センターの第二駐車場の看板として塗り替えられている。大きな商業施設計画エリアの一部はマミーマートと東和銀行になり、残りの商業施設計画区域と2つの幼稚園予定地などは計画が変更となり今は家が建っています。 |
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改訂:2020.6/6 |