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 2024.3/18更新
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高坂丘陵地区開発の歴史


高坂丘陵地区年表

項目
1970 昭和45年8月 市街化区域編入
1971 昭和46年6月 東武不動産より用地取得
1972 昭和47年1月 埋蔵文化財調査
  昭和47年12月 道路公団に用地譲渡 (17ha)
  昭和48年7月 地域地区の決定(第二種住居専用地域=関越道沿)
1974 昭和49年10月 高坂駅西通線工事着手(駅前広場-丘陵地区間)
1975 昭和50年8月 関越道 川越IC-東松山IC間 伸延開通
1976 昭和51年1月 区画整理事業:地区計画作成 (〜平成2年1月)
  昭和51年4月 事業の都市計画決定(都市施設の決定)
    高坂駅西通線 伸延工事着手(丘陵地区-国道407号間)
1977 昭和52年3月 高坂丘陵土地区画整理事業計画当初 認可
  昭和52年4月  (参)東京電機大学鳩山キャンパス 開校
  昭和52年8月 区画整理事業:道路・橋梁基本計画作成
  昭和52年10月 区画整理事業:地区内区画整理工事着手 (97.2ha)
    区画整理事業:公園、緑地、歩行者専用道基本計画作成
1978 昭和53年3月 県立こども動物自然公園に用地譲渡 (78.1ha)
1980 昭和55年5月 県立こども動物自然公園 開園
  昭和55年11月 都市計画公園および緑地の決定
1981 昭和56年7月 区画整理事業:施設計画作成
1982 昭和57年10月 区画整理事業:街づくり基本計画作成 (〜昭和58年9月)
1983 昭和58年2月 区画整理事業:みどりの景観計画作成
  昭和58年3月 区画整理事業:サイン・ネーミング計画作成
  昭和58年8月 分譲開始
1984 昭和59年3月 区画整理事業:住宅配置計画作成
    第一回入居開始(街開き)
  昭和59年4月 桜山小学校開校、ヨークマート・銀行営業開始
1985 昭和60年4月 白山中学校開校、高坂駅西通線一部開通
  昭和60年9月 千年谷公園野球場完成
1986 昭和61年4月  (参)高坂駅駅舎・駅前広場竣工
    高坂駅西通線全線開通
  昭和61年8月 第一回丘陵地区夏祭り開催(白山中会場)
1987 昭和62年7月 区画整理事業事業完了
1989 平成元年 千年谷公園屋外ステージ完成
1991 平成3年4月 緑山小学校開校
1992 平成4年4月 高坂丘陵市民活動センター設立
  平成4年10月 高坂丘陵市民活動センターが第6回さいたま景観賞受賞
1993 平成5年8月  (参)県立平和資料館 開館
1997 平成9年 高坂丘陵地区が都市景観百選大賞 受賞
1998 平成10年 マミーマート 開店
1999 平成11年4月 高坂西交番 開設
  平成11年8月 手作り「丘陵みこし」完成。夏祭り担ぎ出し
2003 平成15年8月 夏祭り会場を丘陵センター駐車場に移動し開催
2006 平成18年3月 緑山小学校 閉校、桜山小学校も閉校
  平成18年4月 新 桜山小学校(旧緑山小、旧桜山小統合)
    大東文化大学緑山キャンパス
2012 平成23年11月 「高坂丘陵ねっと」開設
2019 平成30年12月 まちびらき35年記念事業「桜植樹式」

 

 航空写真でみる変遷

   写真をブラウズすると現在の区画線を加えたものになります。
 1974年  
1974
 1974年昭和49年、まだ関越道工事中だった。この翌年川越IC-東松山IC間伸延。高坂丘陵はまだ本当に深い森の中。関越道工事は地区計画ができていたので橋が作られていた。松風公園の谷戸(谷津)は「呉器谷」と呼ばれていた。一部谷津田が見える。呉器谷の最後は灌漑用溜池で直線堰堤の今の名称の地獄坊池があった。今も松風公園内に「呉器沼」がある。当時の名称中丸沼は「中丸谷」の最後の灌漑用溜池。今は中丸「池」。中丸谷筋は千年山(標高80m)から流れる谷戸だったので「千年」谷公園となった。白山台20番台のところは更地になっているが関越道の盛土に使うために切り取られて、高速道切通しの切土と共に坂戸、鶴ヶ島方面で盛り土として有効利用されていた。
   
 1979年  
1979年
 1979年(昭和59年)区画整理事業工事真っ盛り。住宅予定地は一度は整地のため切土・盛土で更地に。地区内道路工事が始まったが、工事用道路が今の区画とは違うところを走っている。機能しているのは関越道と高坂SA。桜山窯跡群(今の「はにわの丘史跡公園」)の発掘調査が行われている。
   
 1984年 まちびらきの年
1984年
 桜山台地区(北、南)白山台地区から街が始まった。舞台遺跡、大塚原遺跡、緑山遺跡、物見山塚群遺跡、根平遺跡などの遺跡発掘が続く。古来よりの遺跡の上に街が作られていく。
   
 1990年  
1990年
 1990年 「高坂パラディ」のヨークマートが唯一の商業施設。丘陵センターや中心部は開発待ち。松風台4番地と旗立台30番地台は開発分譲中。 旧 緑山小学校の建設工事中。関越道は中央分離帯の植栽が大きくまだ2車線。
   
 2006年  
2006年
 2006年 ほぼ現在の姿になる。この写真からは見えないが、高坂パラディは無くなりその看板は地区センターの第二駐車場の看板として塗り替えられている。大きな商業施設計画エリアの一部はマミーマートと東和銀行になり、残りの商業施設計画区域と2つの幼稚園予定地などは計画が変更となり今は家が建っています。
   
改訂:2020.6/6
本内容の一部は東松山市の市民講座資料、国土地理院GISデータ、UR資料を参照し作成致しました。