ホーム
この街
イベント
防災
ハートピア
市民センター
丘陵支部
比企点描
ねっと訪問
丘陵知恵袋
福祉活動
 
RSS
2018.8/15更新

 

高坂丘陵地区開発の歴史

高坂丘陵地区 街のシンボルマーク 丘陵地区案内板 開発の歴史 開発前の歴史 地学

高坂丘陵地区は、首都圏の北西部武蔵丘陵に向けて昭和40年代に6つの地区(高坂丘陵地区、北坂戸地区、坂戸入西地区、富士見地区、川越・鶴ヶ島地区、霞ヶ関地区)による計画総面積760 ha、総戸数約23,000戸、総人口88,500人とする大プロジェクト『むさし緑園都市』のひとつとして位置づけられました。

この『むさし緑園都市』の中で北坂戸、富士見、川越・鶴ヶ島に続く4番目の都市開発事業として行われ、豊富に残っている自然と人の調和を目指し昭和49年からプランの作成が開始されました。開発構想としては①自然と人間生活との調和を図るまちづくり②安全で利便性の高いまつづくり③地域融和を図るまちづくり④公害を未然に防ぐまちづくりの4点を軸に開発が進められた。

高坂丘陵地区年表


項目
1970 昭和45年8月 市街化区域編入
1971 昭和46年6月 東武不動産より用地取得
1972 昭和47年1月 埋蔵文化財調査
  昭和47年12月 道路公団に用地譲渡 (17ha)
  昭和48年7月 地域地区の決定(第二種住居専用地域=関越道沿)
1974 昭和49年10月 高坂駅西通線工事着手(駅前広場-丘陵地区間)
1975 昭和50年8月 関越道 川越IC-東松山IC間 伸延開通
1976 昭和51年1月 区画整理事業:地区計画作成 (〜平成2年1月)
  昭和51年4月 事業の都市計画決定(都市施設の決定)
    高坂駅西通線 伸延工事着手(丘陵地区-国道407号間)
1977 昭和52年3月 高坂丘陵土地区画整理事業計画当初 認可
  昭和52年4月  (参)東京電機大学鳩山キャンパス 開校
  昭和52年8月 区画整理事業:道路・橋梁基本計画作成
  昭和52年10月 区画整理事業:地区内区画整理工事着手 (97.2ha)
    区画整理事業:公園、緑地、歩行者専用道基本計画作成
1978 昭和53年3月 県立こども動物自然公園に用地譲渡 (78.1ha)
1980 昭和55年5月 県立こども動物自然公園 開園
  昭和55年11月 都市計画公園および緑地の決定
1981 昭和56年7月 区画整理事業:施設計画作成
1982 昭和57年10月 区画整理事業:街づくり基本計画作成 (〜昭和58年9月)
  昭和58年2月 区画整理事業:みどりの景観計画作成
  昭和58年3月 区画整理事業:サイン・ネーミング計画作成
1983 昭和58年8月 分譲開始
1984 昭和59年3月 区画整理事業:住宅配置計画作成
    第一回入居開始(街開き)
  昭和59年4月 桜山小学校開校、ヨークマート・銀行営業開始
1985 昭和60年4月 白山中学校開校、高坂駅西通線一部開通
  昭和60年9月 千年谷公園野球場完成
1986 昭和61年4月  (参)高坂駅駅舎・駅前広場竣工
    高坂駅西通線全線開通
  昭和61年8月 第一回丘陵地区夏祭り開催
1987 昭和62年7月 区画整理事業事業完了
1989 平成元年 千年谷公園屋外ステージ完成
1991 平成3年4月 緑山小学校開校
1992 平成4年4月 高坂丘陵市民活動センター設立
  平成4年10月 高坂丘陵市民活動センターが第6回さいたま景観賞受賞
1993 平成5年8月  (参)県立平和資料館 開館
1997 平成9年 高坂丘陵地区が都市景観百選 受賞
1998 平成10年 マミーマート 開店
1999 平成11年4月 高坂西交番 開設
2003 平成15年8月 夏祭り会場を丘陵センター横に移動し開催
2006 平成18年3月 緑山小学校 閉校
    大東文化大学緑山キャンパス
     

区画整理事業の概要


完成記念碑 高坂丘陵市民活動センター横の「ひきのみち」内にあります。
県立比企丘陵自然公園内にあることから、計画の基本方針も自然緑地の保全と活用、住宅地区のみどりの復元、自然地形の活用等【自然との調和】を第一に計画されました。
施行主体  住宅・都市整備公団
施行面積  97.2 ha
施行年度  昭和52年3月〜昭和62年7月(換地処分日)
総事業費  24,410,000,000円
平均減歩率  49.9%
公共用地面積  38.97 ha (40.1%)
公園・緑地  24.4 ha (25.1%)
計画人口  12,000人(計画戸数 3,050戸・戸当り 3.8人)
総事業費と記載されているのは244億円!です。

初期土地利用計画図

初期の計画では地図から見てもわかるように、中高層住宅がメインの住宅団地計画だった。計画人口が多い分、教育施設の建屋は大きく計画されていた。時代の流れに合わせて、戸建て住宅がメインの街になったが、公園緑地は当初計画を変えずに進んだので、緑多い住宅地になった。

地域計画地図 1989年3月7日現在版

 

住宅分譲パンフレットに載っていた情報では、中心部の大きな商業施設計画区画(赤色の部分で「高坂パラディ」と今も地区内に名残の案内標識がある)、柿の木公園横と桜山小学校脇に2つの幼稚園予定地などがありました。また、すでに居住している地域として桜山台と白山台が街路の詳細も記載されていた(黄色地部分)そして薄緑部分は中高層住宅団地になる部分として未着手のところ。

 

工事の様子


1990年の工事風景 松風台4番地地区 
撮影日 1990.4/22

 

航空写真でみる変遷


写真の中の白線は分かりやすくするために現在の区画線を加えたものです。
1974年 まだ関越道工事中だった。この翌年川越IC-東松山IC間伸延。高坂丘陵はまだ本当に深い森の中。松風公園は一部谷津田。地獄坊池は今と同じ形の灌漑用溜池。白山台20番台のところは更地になっているが関越道の盛土に使うために切り取られて有効利用されていた。
1979年 区画整理事業工事真っ盛り。住宅予定地は一度は整地のため切土・盛土で更地に。道路工事が始まったが、工事用道路が今の区画とは違うところを走っている。機能しているのは関越道と高坂SA。
1990年 「高坂パラディ」のヨークマートが唯一の商業施設。丘陵センターや中心部は開発待ち。松風台4番地と旗立台30番地台は開発分譲中。 旧 緑山小学校の建設工事中。関越道は中央分離帯の植栽が大きくまだ2車線。
2006年 ほぼ現在の姿になる。この写真からは見えないが、高坂パラディは無くなりその看板は地区センターの第二駐車場の看板として塗り替えられている。大きな商業施設計画エリアの一部はマミーマートと東和銀行になり、残りの商業施設計画区域と2つの幼稚園予定地などは計画が変更となり今は家が建っています。
 

バブル頃の街の(分譲販売)ブランド化 今の住所表記「松風台」


個性ある町並みはそれぞれ区域によって少しずつ異なり統一感は無いが緑多い街並になっています。最後の開発になった中心部の松風台4地域ではそれぞれ街のロゴがついていました(?)・・・今はこの地区毎に自治会が形成されています。

四季の丘

興和物産がデベロッパーとして公団と協業した地区。うたい文句は「南北にビッグスケールの公園がある街」。高層+戸建の調和。

エステアベニュー松風台

日本新都市開発がデベロッパーとして公団と協業した地区。うたい文句は「千年谷公園」に隣接し「松風公園」にほど近い街。高層+戸建の調和。

パークス松風台

三井不動産がデベロッパーとして公団と協業した地区。円形クルドサックが特徴的レイアウトの街並。うたい文句は丘の上の「欧風のしゃれた街並」

松風台

公団が整備し住宅をセキスイハイム、パナホーム、ミサワホーム、日本新都市開発、三井ホーム等が建設した。ロゴと呼べない様な文字だけの素っ気なさ。

 

本内容の一部は東松山市の市民講座資料、国土地理院GISデータ、UR資料を参照し作成致しました。